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岡野純子 国民民主党千葉県第五区総支部総支部調
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ご挨拶

震災の年に市議に初当選させていただき12年が経ちました。
この間、ご支援いただいたり、ご意見・ご助言くださったりした皆様に心から感謝いたします。

初出馬を決めた時、私には1歳の娘がおりました。 ママ友は産休・育休中ですから駅に立った時に会うのはそのご主人ばかり。その後何年か経ち、職場復帰したママ友自身に会うようになりました。そして先日駅に立っていた時、最近は、成長して高校に登校するその子ども達に会うようになったことに気づきました。

命の巡りというものは私が思っているよりも早いということを体感した瞬間でした。

この時私は二つのことを感じました。
ひとつは、〈人に投資することの有益さ〉です。生まれた子ども達は思っている以上に早く成長し、この国を支える人材・納税者になる。子育て支援や教育を充実させ人に投資することは、資源の少ない日本にとって投資的経費として非常に合理的である ということ、もうひとつは、私自身も老いるのだな、ということです。そんなの当たり前だろうと言われそうですが、私は今44歳、20代からここまでの20年間でも体力の衰えを感じていますが、おそらく今からこの先20年の方がより加速度的に老いるのだろうな、と、いつまでも若いつもりでいた自分の時間の有限性を初めて心から体感したわけです。

これまでの12年間、私はたゆまず子ども達の豊かな育ちとあらゆる人の生きやすい社会の実現をライフワークに働いてきました。一部、実現したこともありますが、長らく続けてきたことで市議としての限界も感じるようになりました。
私は、子どもにまつわるあらゆる支援は所得制限を撤廃するべきと思っていますし、この物価高においてインフレ手当として現金給付すべきだと思っていますが、何をするにも財源が必要です。市川・浦安は他の自治体に比較して、財政が豊かな自治体ではあるとはいえ、コロナ禍の煽りを受け税収は減少傾向にあり予算が必要な事業には二の足を踏んでいる現状です。
コロナ禍で多くの人が職を失った今、中小企業に助成を行って正規雇用を増やすべきですし、家計にまつわる税金は減税すべきです。そうした国の制度の改善は自治体議員では叶いません。

そうした自治体議員の限界を感じる機会が増え、また先ほど書いた通り、自分に残された時間の有限性を体感したこともあって、「国政に携わる挑戦をするのは気力・体力が充満した今だ」と考え、来春の市議選に出ることはやめて、次の衆議院総選挙に出馬しようと思うようになりました。

国政選挙を戦うには政党の力が必要です。このところ行われた各種選挙において私が応援する姿をご覧になっていた方には周知のことかもしれませんが、私の価値観や政治思想に最も合致するのは国民民主党です。人への投資、その根拠となる積極財政への転換、“対決より解決”という柔軟な政治姿勢、その全てが合致しています。正直なところ政党としては小さく、政党支持率もまだ高くはありません。しかし、自分が人生を賭けて戦うなら、選挙での強さではなく、屈託なく賛同できる潔さの方が大切だと私は思っています。

しばらく前から国民民主党と面接などを行い、次期衆院選にむけて私を公認候補にするための話し合いを行ってきました。

そのタイミングで、報道でご存知の通り、千葉5区選出の代議士・薗浦健太郎氏が政治資金問題で略式起訴、議員辞職する流れとなりました。
千葉5区では来春の市議選と同日に衆議院議員補欠選挙が行われる予定です。

私としてはもう少しのんびりしたスケジュール感で総選挙に向けての準備を行おうと思っていたところではありますが、はなからこの地区で衆院選に挑む腹は固まっていましたので、迷いなく出馬を決意し、この度、党からも正式に公認がおりたところです。

急な話だったこと、デリケートな話だったことなどがあり、親しくしていた方々には事前に相談など出来ず、水臭くて申し訳ありません。

補選は比例復活の仕組みがないので、政党支持率と得票率が相関関係にある衆院選においてはかなり難しい選挙になることは承知しています。それでもこの正直な政治を貫く政党の勢い拡大させるべく、国民民主党から、持てる力を振り絞って戦おうと思っています。

これまで私を応援して下さった方の中には市議をやめることにご意見があるかもしれません。しかし、私にとってはどんな立場にあっても、結局は「すべての人がどのような人生を選択しても、そこに障壁がない社会の実現」に向けて尽力することに変わりはありません。
これまでと同じように些細な声も引き続きお寄せください。

私が大学生のとき、当時47歳だった母を病気で亡くしました。苦労の多い人生を歩んだ母がこの世に生きた意味を考える時、私は、たったひとりの子どもである自分が少しでも世の中の役に立つことで、母が生きたことを強く意味付け出来るのではないかといつも考えてしまいます。きっと、そんながむしゃらに生きなくても、私が健やかであればそれでいいというのが母心なのでしょうが、どうしてもそう思わずにはいられないのです。
ですから私は、みなさんの幸せのために生涯を賭して働き続けます。

岡野純子
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